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霊性なる日常 [展 心 徒 然 草]

霊的覚醒者の孤独 あるいは 霊的二重人格者の多忙

 サトリ・霊的覚醒とはアタマ・智のめざめではなく、肉体を通した感受性としての感覚知の回復であり、全宇宙の霊性への回帰ともいえる。これはいわゆるクンダリーニと相似象をなす。
 
  ミキキして  カンずるヒビキの マノスベに  よりてサトリし  カシラハラ
 
 さて、人間界の言語によって霊的存在を表現する、ということは至難の業である。というより、人間の観念で霊的現実を表現しようとする試み自体が困難であるといった方がよい。なぜなら、今日人間界で使用されている言語のほとんどが 霊的日常からは遊離した観念の使用によって形成されていると考えられるからである。つまり 人間界の言語には、霊的本質に関する適切な表現が存在していないということでもある。
 霊的世界は人類の存在とはまったく関係なく存在している。人類とひとことで表現される自然現象の総体(これにはあらゆる社会的要素も含めてのことだが)は、確かに霊的世界の一部分ではあるが、総体の霊的世界の本質に影響を及ぼすような影響力はないと考えて差し支えない。
 そもそも、全宇宙に関する霊的統一の観念は、人類の言語の発達によってもたらされたことは事実であろう。端的な実証として、言語による観念思考が存在しない世界においては、すなわち人間社会以外の自然界は、一糸乱れぬ霊的統一のさなかに今でも置かれている。しかしながら その本質において直感された感受内容を直観として自らに説明しうるのは、体験者の大脳使用言語によってである。従ってその文学的表現は使用言語の表象能力に規制されてしまうのは致し方ないことでもある。
 
 誤解を恐れずに言えば、人類の歴史的事実からして 釈迦・イエスをはじめ、霊的覚醒に至った人物が過去においてその周辺の人々に対して語った表現は 、その生い立ちによる使用言語によってなされたと思われるが、自らの霊的直観を適切に表現しうる言語がないために、その本質を的確に把握・認識できずに終わっている。霊的覚醒者当人が把握・認識できないことを、他人に理解させることは、よりいっそう困難なことである。それがため、霊的覚醒に至ったものは、時の社会において、人間的には非常に孤独な存在とならざるを得ない。
 霊的覚醒は,覚醒者自身に自らの覚醒内容を他者に説明しうる能力を保証するものではない。人間社会において生活する人々に、人間界の既成言語・既成概念を利用して霊的世界を解説しようとする試みの成否は、覚醒者自身の表象能力の問題ではなく、使用言語の表現能力の問題なのである。
 
 霊的覚醒者に、対等な人間としての話し相手はできない。霊的覚醒とは否応なしに自らの存在と全宇宙との霊的統一を意味する。そこにはもう私は存在しない。私としてではなく、全宇宙の霊的存在の一器官として、直観を述べるしかない。
 そんな霊的覚醒者にとって、人間社会の様相はとうてい納得のいくものには映らない。全宇宙の霊的平等からして、人間界における宗教も自然科学も霊的平和に寄与するとはまったく考えられないからだ。
 
 霊的覚醒者にとって人類にあるのは希望ではなく贖罪のみである。自然を征服しおのが利便に供することで築きあげられた人類文明は霊的自然界に対する冒涜以外のなにものでもない。霊的には盲目とさえいえる現代人間社会での目に余る現象に、同じ肉体を持つ霊的知生体としていかに対処すべきなのか?ゲーテ・シュタイナーに通ずる言動は現代人間社会におけるキリスト教的霊的覚醒者の孤独の表れとして共感される。
 
 では、現代日本にカタカムナを再認識させた楢崎皐月はどうだっただろうか。やはり彼も孤独だったようである。
おそらく彼がカタカムナを科学的観点から考察した初めての人類であったことは間違いないだろう。当時の日本人としては、ずば抜けた物理科学的常識を身につけた人物であったことが相似象学会に寄せた解説原稿からも伺われるが、そのことが 明治維新以来失われつつあった 日本民族の霊的な状況修正よりも、欧米主導による 自然科学文明の軌道修正へと その矛先を向けたことも無理からぬことであったと思う。

 で、僕はといえば、たとえようもなく孤独である。30年にわたる流通システムのもとでのものつくりの生活。カタカムナとの出会いがなければ自殺という選択肢が比重を増していたろうことは間違いない。鬱病という精神状態はまったく無理からぬものであったとも思う。ただひたすらカタカムナによる脳内観念の置き換え作業と人間社会の現状分析を続けつつ、人間社会のシステムに依存しない生き様を模索しつつ、妻と息子と共に霊的二重人格者として普通に多忙な日常生活をおくっている 。

アカアオアヤノサタマリ(現潜極限飽和安定律) [カタカムナ最前線]

楢崎皐月のカタカムナ潜現重畳理論にもとづく、超対称・展心カタカムナによるカムヒビキ解析
楢崎の他界以来、相似象学会によって継承されてきたカタカムナに関する研究は、宇野多美恵会長の突然の他界によってさらなる試練の時代を迎えている。

 楢崎の提示した、カタカムナの理論的解釈に関する検証作業を進める上で最大の障害となることは、宇野会長が再三再四にわたって警告し続けた現代人の感受性鈍化であるコトは疑う余地がない。しかしながら原典の声音符・図象符に対する幾何学的解析もまた重要な要素として取り扱うべき課題である。

 カタカムナ原典に見る表記は上古代人による究極の抽象である。これは感受性の鈍化した現代人にはあまりにも単純すぎるがゆえに難解であった。オツムテンテンの現代人にこれを理解させるには逆に具象化すればよい。

 アマ・カムフトマニとは、タカミ・カムミの現・潜超対象の重畳する偶構造であると楢崎は解読した。それは正反逆位相の相似象(アカアオムカヒ)として潜態粒子(クミヌマリ)を構成している。つまり具象化すれば二つずつのマリによって表現されるわけだ。さらにマワリテメクルの具体的旋転循環位相は原典図象の同心円にあらずとの直観により発明されたのが展心カタカムナである。
カミ000.jpgアカアオアヤノサタマリ
 ヤタノカの旋転循環によりアマハヤミ内においてはタカミカムミの偏在によって現潜バランスのカタヨリが生じる。

 上の図に示してあるのは赤玉のタカミと青玉のカムミの旋転循環による集積位相であるが、タカミカムミの軌道は逆位相の対称をなしている。球心部と左右両側部には赤青の部分があるが、ここはタカミカムミが旋転循環しながらも重ならない部分で、タカミカムミの性質はそのままである。それに対して紫色の部分がアヤシノリといわれる潜現重複部分である。これは潜現いずれの性質にも遷移可能な中性的領域であり、ヤタノカの互換重合の要ともいうべき領域である。      
 

このように、カタカムナの内部構造はカム・アマから受け継がれたアカ・アオ・アヤのサによって互換重合性が成立する。

 トキトコロノマリ.jpg天然自然現象における相似象発生原理を展心カタカムナによって解析することができる。

 楢崎理論によれば、正反対称偶構造・対向発生の原理に則ってあらゆる現象が発生するわけだが、様々な物質構造が形成されるにはヤタノカの一重から八重の重畳によるモコロシマによって様々な物質的現象が発生する。その場合のミクマリ内におけるタカミカムミ間に作用する力線構造を示したのが右の図だ。

  アマナカムナの親和による引力線を緑色で示してある。この力線構造はタカミカムミの旋転循環が連続することによって現象素粒子の物理的構造に相似象的に波及すると考えられる。

  この図に示された幾何学構造の特色について若干の解説をしておく。中心がトキである。タカミカムミのヒにおける接点であり、アマナ・カムナの旋転軸でもある。ただしこの中心点は、あくまでもヤタノカ単位の旋転循環における相対的位相であって、現実世界における物質構造の成り立ちに直接的な影響を及ぼすフトヒ・アサヒヒビキマノスベシによって森羅万象を発生するに至る。

 トキを中心として描かれた黄色い五つの同心円はイツノワといい、アマナ・カムナの中で旋転するタカミ・カムミのヤタノカ別の中心位相を表している。最小の円がヒ、次がフ・ヤ、三番目がミ・ナ、四番目がヨ・ム、五番目がイとなっている。タカカム.jpg
 

タカミカムミの中心位相は、最小単位の引力斥力の発生軌道準位とも言える。

  カタカムナの幾何学的解析を進めれば進めるほど自分が科学者でないことが非常に残念に思われる。


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カタカムナ応用上の注意 [カタカムナ最前線]

 現代日本においてカタカムナの応用を考えるあたって注意すべき点は、明治維新前後の外来語、とりわけ欧米語から明治以降に翻訳された日本語と、カタカムナ由来の日本語の分別を要するということである。その意味からいって明治に入って最初に編纂された国語辞典・言海は非常に参考になる。
 明治維新後西洋の学問を積極的に取り入れるにあたり、それまでの日本語にない概念や学術用語がたくさん造語されてきた。中でも現在使われている自然という概念は人類と対峙する存在をさし、本来自然発生した人類の存在と矛盾することに最大の注意を要する。
 

カタカムナにおいては、マというひとことが、あらゆる自然現象の総体として、マクロ・ミクロ両方の意味で使われる。
 マは天然自然のありとあらゆる現象事象、つまりは時空間のあらゆる次元をさし、マカタマとして相似象的に球体をなす。あらゆる電磁波、すなわち波動成分もトキトコロノハシマリからの膨張球・マリとして認識されるヒビキである。そしてなにをおいても一番問題なのが人間である。
 

カタカムナいうところヒトとは現代日本語でいうところの人間ではない。人間はもともと仏教用語の、じんかん、すなわちヒトとヒトの合間、転じて社会の意味であったが、明治以降ヒトの意味で使われるようになったもので、大槻文彦による言海には『過ちてヒト』との義が載せられている。
 

 我々の脳・アタマは感受性・ミキキによって得られた天然自然情報・ヒビキの処理と、言語・コトノハによって構築された観念・イシキの両方を同時に処理している。言語入力以外の感受性によって得られた情報・ヒビキは、観念に関係なく細胞単位で処理・ミシロウケされるが、言語は脳細胞に特化されたオペレーションシステムとして機能し、交感神経・副交感神経の双方に影響を及ぼす。このことは自然界における人間社会の侵略的破壊活動と相似象なのであって、一個人の観念による内的浸食と考えるべき現象である。相似象学会云うところの、言語の自然サ量が問われる最大の課題だといえる。
 その意味合いからして、カタカムナによる、現代脳へのクリーンインストールがもたらす、自然サ量の回復が、人類と地球自然の完全和解の鍵となるに違いないと思える。


人類の幸福が自然にとっての不幸であってはならない [展心に問ふ]

 

 展心に問ふ

 位相解析001.jpg

健次郎

「今、カタカムナの末裔として考えるに、我々日本民族がとるべき行動はいかなるものとお考えでしょうか。」

展 心

「いまこそ我らは深く胸に刻まねばならないのです。人類の幸福が自然にとっての不幸であってはならない、というもっともアタリマエなことを。」

健次郎

「人類による幸福追求のあらゆる活動が、地球自然や生命に対して驚異であってはならない、ということですね。」

展 心

「これは地球憲法として地上の最高法規とすべきですね。実践的にはカミタノミにつきます。これは神仏に対する祈りや、祈願・祈祷と意訳されていますが、本来の意味は全く違います。」

健次郎

「神社仏閣などに詣でることではないと。」

展 心

「神社仏閣が結果的にイヤシロチに立地している事実からすれば、無駄ではありませんが、目的はイツキノリによるミノタメです。」

健次郎

「環境の美感電圧による天然充電、アマウツシ・カムウツシということですね。」

展 心

「そのとおりです。カミダノミというのは儀式ではありません。宮司や僧侶に拝んでもらっても何も変わりません。自分でタノムしかないのです。これはどちらかといえば精神的疾患に対する天然物理療法であるといえます。まずはマトモサのミツケです。マトモサは人間状態を解放して静観すれば誰にでも判断できる霊的水準です。これを古来日本民族はカミサマと呼んできたのです。そんな天然の霊的巨大勢力をカンジ、カミサマとして自らミツケル。生命体としてのまっとうな判断を鈍らせないための非常に高度で、簡潔な文明的帰結だといえます。」

健次郎

「環境中の髙電位に平衡安定した静電気による癒しですね。」

展 心

「イヤシロチの霊力というものは、電気勢力に限ったものではありません。ミツゴノタマシヒであるイカツミ・マクミ・カラミの均衡バランスが肝心なのです。そして人としての感受機能を極限まで発揮するための条件となるのが、クヒノサトリです。これは地球上のあらゆる生命現象にとってのトキトコロの発生点である地球の中心から放射状に広がるヒビキを流通させねばなりませんので、非常に重要な霊的体勢といえます。人の解剖学的構造からして、骨盤の前後傾斜角度を決定する仙骨の安定が最も重要な要素であるといえます。」

 

つづく

 

 

 


かくもうつくし骨なれば いかでたたかでおらりょうか [展 心 徒 然 草]

3688272.jpg 鉄をたたき始めてまだ間もない頃、骸骨ばかり拵えていた時期があった。もうかれこれ30年も前のことである。 3531562.jpg   い時分から骨はとにかく好きだった。少年時代を過ごした仙台の実家は市街地のはずれに位置していたため、通っていた中学へは山ひとつ越えて往かねばならなかった。そんなある日、下校途中の道草ルートに、一匹の行き倒れの犬が静かに横たわっていた。迷わず僕は、なるべく人目に付かない場所へその犬の亡骸を移動させ、何事もなかったように家へと戻った。そしてそれ以来約3年にわたって、白骨化するまでの様子を断続的に観察し続けた。  

然界で自然死した動植物が自然に還るプロセスは、実に興味深く美しい。思えば僕の自然に対する美的関心は、完成した色彩・形態の観察より、形あるモノがその一生を終え、風化してゆくその刹那にのみ見ることができる、様々な階層構造の美しさによってもたらされたのだと言える。言葉をしゃべり始める以前からそのプロセスに非常に関心があったことを覚えている。はじめは目にするあらゆるモノが観察対象だったが、そのうち小動物の屍骸が見せる長期間にわたる劇的変様が僕をトリコにする。ウジがわき虫に喰われ、風に吹かれて雨に打たれ、陽にさらされ、霜にあたって凍てつき、雪にうずまりふたたびすがたをあらわす。季節の移ろいはまさに劇的展開を見せてくれた。そしてついに、あまりにも美しい骨がその終幕を飾るのであった。いつしか僕の人生には骨とめぐり逢うよろこびが定着していた。

 骨.jpg

んなわけで鉄をたたくという表現手段を得た僕はとにかく骨をつくりまくったのだった。


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ブログ展覧会 [ギ ャ ラ リ ー]

 堀井健次郎・30数年にわたる作品の一部

 

 

6194235.jpg

 

                        RIGHTING ARM TABLE        1980年制作 鍛鉄・木

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カタカムナvortex [カタカムナ最前線]

アマノウズメにみるVORTEXの渦巻き

アマノウズメ.jpg

 カタカムナに見る相似現象の発生原理は、外殻・中殻・心核の旋転循環によって生じる。これがいわゆるヤタノカガミであるわけだが、ヒフミヨイムナヤのヤタノカの中心移動の軌跡が、アマナのウズ、すなわちアマノウズメとなる。この単純な旋転循環の軌跡から、ありとあらゆる現象事象を発生させる外巻きと内巻きのシンメトリーなvortexが生ずる。まさにカタカムナの奇跡というほかない。

相似象解析2.jpg

 

植物との相似象はトキの軸をヤタノカのヒに合わせることで簡単に見分けられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水晶.jpg

 水晶の結晶はヤタノカの引斥力の内角によって生ずる六角形と相似象をなす。


フトタマノミ ミコト フトマニニ [カタカムナ最前線]

 カタカムナ イノチとココロの見取り図

解析用プロセッサー.jpg

フトタマノミ ミコト フトマニニ

ご承知のように、カタカムナはヤタノカカミによるマワリテメグル・旋転循環の位相差によって相似相的に森羅万象を発生しているわけですが、アマカムの対向発生が基本構造となるため、一対のヤタノカによる重畳図が必要となります。
この図に示された直線はアマカムのそれぞれのヤタノカから対向するヤタノカの中心を結んだ線を表しています。これはアマカムの間に作用する引力斥力を表す直線となり、あらゆる物理的構造に相似相として現れる基本形態になります。外形の特徴は、不当辺の六角形となり、二等辺三角形二つのシンメトリーな重畳で表されます。とりわけ、複数の線が集中するポイントは、引斥力の集中によるパワースポットとして、自然現象全般の発生形態に支配的相似相を表します。
一方同心円で示された五つの円は、アマカムの対向するヤタノカの中心どうしを結ぶ線を直径とした旋転軌道を表しています。緑色の濃淡の差で表されているのは、ヤタノカの循環の繰り返しによる統計的密度差を示しています。この密度差は巨察的には銀河のような星雲全体や全宇宙球と相似相であり、微視的には素粒子や細胞の構造と相似相になります。これがいわゆるフトタマノミ、すなわちミコト、フトマニとなります。

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