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カタカムナってなに? [カタカムナ入門]

 

  カタカムナってなに?

 初めて耳にする方もおいでかと思いますのでかいつまんで申し上げます。

 現代の人間社会を思想的に,つまり文化的に成り立たせているモノは何かと考えてみますと科学と宗教であるといえます。ただしその勢いからいって自然科学が断然優位であると見えます。いわゆる科学文明なるものは自然科学の発達によって開発された技術によって発展してきたのです。

 自然科学というのは実証主義、つまりは確かに実在するという証拠を認めることによって初めて証明されたと認識するわけです。したがって観測されないモノ、あるいは実体を伴わないモノは実在を証明できないため自然科学にとっては範疇外となります。すなわち存在を認めないということです。そこで宗教が登場します。

宗教の対象は自然科学では証明不可能な実体を伴わない存在を信仰の対象にしていることが普通です。神や仏や霊魂などといった科学が証明できないモノが対象であるため、信仰が必要となります。


さて、あなたはどちらを信じますか?と問われると、困っちゃいますねーー、うちには仏壇もあるし墓も買っちゃったし、でも仕事は科学的じゃないと成り立たないし、嫁さんちはキリスト教で、結婚式は教会でしたいし、家を建てるときはお祓いしてもらわないと不安だし、クリスマスは子供が楽しみにしてるけど紀子様も気になるし。ってなところでしょうか。でもこれは日本の社会だから普通なことなんで、信仰のあつい国ではこうはいきません。じゃあ何で日本だとこうなれるのか?という疑問に答えるのがカタカムナなんです。


 カタカムナとは何かを一言で言えば、コノヨノスベテということになります。

現代の宗教は非科学的であり、自然科学はいわゆる霊性に関して盲目であるといえます。いずれにしても今日の地球規模の問題解決に役立つ器量は持ち合わせていないといわねばなりません。それどころか人類の使用可能なエネルギーを考えると、大変危険な状態だと考えねばなりません。じゃあカタカムナならどうなのよ?ってことになるわけです。
 カタカムナには日本列島の有史以前に存在した人類によって表記されたと考えられている48種類の声音符とよばれる図象があり、現日本語の起源と考えられています。


 さてカタカムナではこの世はたった二つのモノから成り立っているといっています。それはアマとカムであると。アマとはあらゆるマを発生する要素。これが自然科学が対象とする物質現象の元になります。それに対してカムとは形を伴わない要素。これが宗教の対象となる実態のない世界、これを現象に対して潜んでいるかたち・潜象といいます。しかもアマ・カムは単独で存在しているのではなく、偶構造、つまりくっついてるといっています。アマとカムは正反対の性質でアマどうし、カムどうしは反発し合い、アマとカムは親和するともいっています。この基本的な性質により森羅万象が発生する原理を解き明かしているのがカタカムナなのです。
つづく


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カタカムナって何?第二回 [カタカムナ入門]

ありとあらゆる現象事象をとことんさかのぼってその根源まで行き着いたところにあるのがアマカムである、ということなんですけど、これは始元量とよばれていますが、元々あった量ということですね。これが現代においては大きな問題になるわけです。何が問題かっていうとですね、アマカムの始元量状態というのは何も現象が起こってない状態でして、いわゆるビッグバン以前なんです。これは物質が発生する以前の状態なわけですから、自然科学では証明することが非常に困難なことです。従って宗教や神秘思想になってるんですけど、カタカムナではそのプロセスが非常に整然とした一連の事象として記述されています。ただしこの記述のされ方には厳重な注意が必要で、誰か一人のいわゆる人間によって書かれたものではないということがまずあります。どういうことかというと、いつのことかはわかりません、誰なのかも知りませんが、カンじた人がいたんです。その人が、感じたままに記述したとしか考えられない。何を感じたのか、それがカタカムナだったんです。カタカムナに関する研究はいわゆる戦後、昭和30年代以降にはじまったばかりです。その先鞭として偉大なる業績を残した楢崎皐月が世に紹介したカタカムナ原典第一首目の記述を見てみましょう。

カタカムナヒビキマノスベシアシアトウアンウツシマツルカタカムナウタヒ

と楢崎によって解読されています。さて、ここから始まったわけです。これはいわゆる音読みをカタカナで表記したものですけど、原典はカタカナじゃありません。原典の表記を見てみましょう。

なんじゃこりゃ?ってかんじですねー。これを解読して先の音を当てたのが楢崎です。この解読自体は明治生まれの楢崎にとってはさほど困難なことではなかったと思われますが、解釈に至っては楢崎皐月に再発見されたということがどれほど重大な歴史的事件であったかがいずれ認識されるだろうとだけはいっておきましょう。
 ともあれこの一首目ですが、詳しい解説はいたしませんがこれは今日我々が常識としている文章とはまったく違うものです。ここにはいわゆる人間の観念や意識といったものは含まれていません。じゃなに?ってことなんですけど、現代語で強いて言うならばこれは啓示です。直接記述したヒトが誰であるかは問題ではありません。どんな啓示を受け取ったかが重要なんです。そこでこの一首目ですが、情景を思い浮かべることができます。

カ・感じる タ・確かに カ・感じる  ム・見えない ナ・何か  

この最初のカタカムナが全ての始まりなんです。これこそがカタカムナの真髄です。
感じているのは誰でもいいですけど、感じさせてるのは カ なんです。この段階ではなんだかわからないんですけど、確かに感じる。カ がはっきり感じられる、タ・独立した存在として自分に届いている。 これが カ・タ ってことです。でも、色や形は見えはしない。もちろん触れることはできない。カム とは カ・形、実体は ム・見えない、存在しない、がしかし、ナ・なにかではある、という表明になるわけです。
 我々が現在使用している日本語には48種の音がありますが、これら全てがカタカムナで表記されており、しかもその一音一音に明確な意味を読み取ったのが楢崎皐月の偉業だったのです。


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カタカムナって何・第三回 [カタカムナ入門]

カタカムナって何 第三回カタカムナ.jpg
 第二回から早二年以上たってしまいましたが気の長い読者がいることを願って再開したいと思います。
さて、カタカムナの謎解きを続けましょう。一首目冒頭の カ タ カ ム ナ までの現代日本語による解説はしました、でもあのわけのわからない記号は何? という疑問は なにも解決していませんねー。図象符についてはいずれ解説しますから今は忘れてください。とりあえず次に進みましょう。

カ タ カ ム ナ に続いて出てくるのが ヒ ビ キ です。ヒビキっていうと音や振動を思い浮かべるかもしれませんが、これは大いに補正されなければならないことです。
ヒビキ.jpg
 ヒ ビ キ の ヒ は、はじめのヒ、ヒ カ リ の ヒ です。 ヒ ヒ と連続しているのはヒが続けざまに到達していることを表しています。前回解説した カタカムナが今自分に届いているのは、ヒ として届いている、ということです。ひりひり・ひしひし・ひたひたと。そして キ です。さて、キ といえばやっぱり気と木でしょうかね、いずれも間違いではありませんがこれじゃ説明できないんですね。キは現象物質を表すヒビキではありません。キは突き進む流れが何かにぶつかると進行方向に対して水平方向に広がるもの。この場合ヒがヒヒと突き進んできて自分にぶつかったとたんキとして体に感じられるようになったと気がついたんです。文章にしてしまえばなんてこともないモノですが、これは実に驚くべき感受性の開花です。何が驚くべきかを説明するのはかなり難しいかもしれませんが、やってみましょう。
 まず、このヒビキという表明以前には、と言うか、カタカムナの感受以前と言った方が正確でしょうか、自分が感じているモノがなんなのかといった認識はされていないわけです。現代人であるわれわれは、教育や学習によって様々な知識を身につけた結果、今自分が受けている様々な刺激に関していわゆる五官の作用としての認識をもてるわけですが、このいちばん始めにカタカムナを認識したヒト、仮にカタカムナ君としましょう、カタカムナ君はいきなり感じたままを言葉にしたのです。しかもこれはいわゆる造語というのとは違って、感じたことを感じたままに抽象して形と音で表現してしまったのです。つまり、これはまったく無作為な現象です。自分ではその意味も理解されていないのに形と音で感じたことを抽象表現したと言うことです。だからこれは啓示としか言いようがないとも思えます。カタカムナと感じたとたん、ヒビキーーーときたわけです。そしてひとたびヒビキを認識したところマノスベシーーーーと見えてきた。マ とは、現象化している有限な空間をさします。ノ というのは、変化・変遷・遷移と言った意味があり、スは進む・成長、ヘは減る・減少、シは示し・構成といった意味。カタカムナから続けて読むとこうなります。
マノスベシ.jpg
カタカムナのヒビキがマノスベてをシめている。マノスベシというのは、マノ、スベてをシめる、難しく言えば、時空間の全てを発生消滅させていると言うことです。
これは現代語で言えばまぎれもないサトリです。観念的言語による悟りではなく、自然現象として全宇宙のまぎれもない実体としての物理的感受による覚醒です。この場合のカタカムナ君の体はいわゆる霊媒であると言えます。全宇宙の霊性とも言うべきカタカムナのヒビキによって初めてヒトとしての自覚に至ったのです。

タグ:カタカムナ
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TOP10 RE-LIVE カタカムナ人の末裔 [カタカムナ入門]

 

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カタカムナって何・第四回 [カタカムナ入門]

カミ000.jpg

またまた間が開いてしまいました、なにとぞご容赦下さい。

 

さて、この間様々な出来事がありましたが、何を見るにつけ聞くにつけ思われることは、現代社会における霊性に関する認識の欠如ということです。にもかかわらず、日本人の生活は霊魂を無視した次元では成り立たない。熱心な信徒でなくとも、神社仏閣に全く背を向けて生活するのは現実的でないほどに、我々の生活と神仏がらみの様々な行事は結びついている。これはひとえに文明の根源にカタカムナのサトリが存在したからとしか考えられません。

 


カタカムナのヒビキをそのまま言語とする日本人は、神話や教典、哲学書を読むまでもなく、日常体験でイノチの本質をサトリ得る。ただしこのサトリは思考としてではなく直観される体験感受なので、当人が自分の言葉で他人に説明できるかどうかは全く別の問題です。

 

さて、霊的本質の明確な認識もなしに霊性や霊魂を政治家や公人が口にするのはまったく不合理といわなければなりません。明治維新による欧化政策、戦後の政教分離という原則に縛られ、カタカムナ人の末裔である我々日本民族伝統の霊感は、まさに風前の灯火といえます。

 

そこでいまこそ、世界が金とコンクリートとプラスチックで埋め尽くされ、巨大な発電機の電磁波だらけになりつつある今こそ、霊性とは何かという問題に真正面から明確な回答を与える必要性を痛感するのです。

 

科学的な思考において、教育を考えるに当たって、エコロジーを考える上で、そして宗教的な思考においてさえ、さらにシュタイナー的思考においても、霊界に関する明確な認識がないことが、あらゆる問題解決の糸口を不明にしていると考えます。そしてこのことを解決できる唯一の存在は、カタカムナ以外にはあり得ないと直観するのです。ただし、残念ながら私が全人類を納得させうる必要十分な解説をすることは不可能だとも思うのです。しかしながら、ひとたびカタカムナのサトリに目覚め、現在の人類と世界の現状を認識するヒトツのイノチとして、このままじっと黙っていることは私には出来ない。何とかして気づいてもらいたい、あらゆるものがヒトツココロのヒビキアイによって生まれたたった一つのイノチであるということを。

アマカムナタマ軌跡.jpg

カタカムナの神髄は、ヒビキマノスベシにあります。これは以前にも若干解説しましたが、ヒビキがあの世、マノスベシがこの世だと思って間違いありません。ヒビキが広がり伝わることによって、マのスベてが生まれるのです。

そしてこのヒビキこそ、全宇宙にひびきわたる霊的波動成分、つまり霊なのです。カムヒビキこそ実は霊界と訳すべきものです。

楢崎皐月はあえて霊という漢字を採用せず潜象という造語をあてて説明しましたが、我々日本民族の歴史的文化的背景を考えれば、あえて霊性として説明するほうがより理解しやすいはずです。

何よりまず、我々カタカムナの末裔が目覚めることこそが必要なのです。西洋人の基準に合わせる必要など全くないばかりか、むしろカタカムナを世界に知らしめる責務が我々にはあると考えるべきだと思います。

(つづく)


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