拾ってくるなといわれても 見捨てておけぬものもある [展 心 徒 然 草]
近頃は滅多にモノを拾っていなかったのだが、さすがにこれは見捨てておけなかった。
”葛籠”という言葉を聞くことさえ今ではほとんど無くなったが、これほど状態の良い現物が、今にも燃やされようとしている現場に出くわしてしまった場合、考えるより先に勝手に体が動いてしまうというのが私でもある。
この葛籠一組拵えるのに、一体どれほどの文化的蓄積が必要なことだろうか。まずは自分で拵えることを考えるというのが私のモノを評価する基準である。
してみるとまず、素材を調達し、材料として加工し、それを熟練した技量でもって編み込んでいかなければならない。となると、これはとうてい簡単に作れるモノではない。それは非常に価値のあるモノなのであって、誰がどんな目的で捨て去り燃やそうとしたかの問題とは別に、大変勿体ないことであることに違いない。私が拾い出すという行為が社会的に問題とならなければ、当然のこととして救い出すべき重要な民俗文化財なのであった。
というわけで、この葛籠はめでたくうちの家財道具に加わることとなったのでした。
拾いものついでなので紹介するが、10数年前に箱根で金物の納品の帰り道、疲れきったカミさんと二人で真夜中の峠道を運転中、道ばたになにやら大きな獣が横たわっていたっ!!と興奮気味に助手席のカミさんが言う。 聞けばどうやらイノシシかシカではあるまいかと思い、車を止めて100mほどバックしてみると、案の定体長1.2mほどのイノシシだった。横断中に車にはねられたと見え、完全に息絶えてはいたが、触れてみるとまだ温もりがあり、はねられて間もない様子。頑なに手伝いを拒むカミさんに半ば強制的に手を借りてライトバンのハッチを開け、持ち合わせのブルーシートを敷いて乗せようとしてみたが、路面から荷台までのわずか50センチほどがなかなかどうして持ち上がらない。さんざん苦労してようやく荷台に納めると、カミさんはぐったりと眠りについた。私は意気揚々と相模湖まで帰り着いた。
翌日友人のスティーブと丁寧に解体し、それからしばらくは工房でイノシシ三昧だったのだが、肉よりなにより、”骨と革”こそ実に私の望むところであったのだ。
私の義父に当たる先代のヤマシチ・堀井順之助の形見の一つに、大変シンプルな印伝の財布がある。
いつか自分で革をなめして拵えたいと常々考えていたので、なめしの技法はすでに研究済みであった。
今日でこそ化学薬品を使用しないなめしはほとんど行われていないが、古代から様々な技法でなめしは行われていた。とりわけ”くだしがわ”という技法を試してみたいと考えていた私は、誰にも内緒で仕込みを行っていた。
内緒にするにはちょっとばかり訳があったのだ。この技法は、剥いだ皮を小便の中につけおくという方法であったからなのである。
獣から剥いだばかりの皮には当然毛が生えている。内側には脂肪もたくさんついている。この体毛と脂肪を昆虫や微生物によってきれいにするというのが”くだしがわ”の特徴である。
剥いだ皮はそのままポリバケツに入れて簡単なフタをしておき、毎日その中へ小便をするという作業(というほどのことでもないのだが)をおよそ3年ほど続けた。しばらくするとまずウジがわき、余分な脂肪や肉はきれいにたいらげてくれる。この時点で毛はすっかり抜け落ちる。その後は放置しておけば微生物によって皮革繊維以外はほとんど分解される。 頃合いを見計らって沢水で洗い流せば、生成のなめし革に仕上がるという実に天然文明にふさわしい技術なのだ。
なめしあがったシシのくだし革
直に触れてみなければわからないが、強度・柔軟性共に十分実用的で、しかも完全ケミカルフリーな なめし革が出来上がった。時間こそかかりはするが、山間原住民の生活圏内で入手可能な天然資源の有効活用としては、是非とも定番化すべき産業としたいモノだ。私の居住地域でも害獣扱いのシシ・シカ・クマはもとより、小動物も多数生息している。エコロジカル・ネイティブカルチャーとしての天然文明的視点は、生活道具の生産自給をも目指すべきが肝要と心得る。
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