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革命家は退屈しない [展 心 徒 然 草]

できることなら車には乗りたくないし、ガソリンや石油は使いたくないものだから、馬に乗ることを考えている。僕の父方の祖父は大日本帝国陸軍近衛師団の連隊長を永年勤め、大正天皇と今上天皇に騎馬隊隊長として仕えた人物だった。僕の記憶にある祖父菅原萬吉の姿は、制服姿の仏壇の遺影か近衛少将正装乗馬状態の騎乗位かの二枚しかない。そのたった2枚の写真に写っていたもので私の手の届くところにあったものが、ひとつだけあったのを僕は見逃さない。昭和30年代の武家好みの屋敷に僕は1歳5ヶ月ばかりで預けられた。そこにいる女は着物しか着ない。子供だけが洋服も着る。今思えば完璧な屋敷だった、たった一点の重要な欠点をのぞいて。この屋敷には主がいなかった。これは非常にもったいないことに思えた。とりあえず何があるのかとことん調べまわって納戸のなかで発見したものの数々に混じって、ヒトフリのサーベルがあった。このサーベルしか写真から判断できる祖父のものは発見できなかった。これは形見だ、とそれからはそのサーベルを大事にすることにした。ところがその屋敷の住人たちにとってそれはそんなにっ大切じゃない。つまり僕が大切にするしかないと思った。それ以来形見を見つけるとほっておけないようになってしまった。この時点でいつかは馬に乗ろうと思っていた。というわけで乗馬に備える生活をしてきた。現実的利用形態を考えれば鞍がなければ役に立たないと思われたので、探していたが、なかなか出会えなかった。そしてつい先日、待っていた甲斐があった。ついに鞍が手元にやってきた。友人の英国人男性の手によって。


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ねむりてぞ みにしむこころの ひびきかな [展 心 徒 然 草]


安らかに眠りにつくたびに、草や木になりたいと思うものである。人間社会における睡眠はその本質においてまったく理解されていない。そもそも動けるからといって動物というのはあまりにも安直な呼び名ではないか。動物植物といったくくり方は霊的平等からいって非常に迷惑な思想だ。眠りのなかにこそ、人類の未来が隠されていると言っても過言ではない。ともあれこの写真の作品なんですけど、眠りのなかの素直な表情がとても気になって顔を作ってきたもののひとつで、1,6㎜の鉄板をたたいて作った。万物に宿る霊性の表れとしての表情を鉄に置き換えてみたい衝動が作らせたものだ。


おもて以外はアルミニュウムでできている。これは酸素アセチレンのバーナーでアルミ板を溶かしながらしわ寄せして肌をつけていくのだが、なかなかにいい味がでる。


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お茶墨のにじみてにらむ浮き世かな [展 心 徒 然 草]


 高校卒業まで過ごした仙台市の実家に、達磨大師の描かれた一枚の木簡があった。薄暗い床の間の片隅から一切の感情を感じさせないその瞳がいつも見つめていた。杉板に墨で描かれたその表情を見るたびに、仏像や地蔵にも感じるある特殊な感慨を覚えていた。それは自分が見つめれば見つめるほど逆に自分の内面を見つめられているように感じることであった。
 納戸や物置の中を物色するのが非常なよろこびであった僕は、中学二年の時父の学生時代のクロッキーを発見した。変色したわら半紙二枚に茶色のパステルで描かれた人物の表情に、僕はいいようのない衝撃を受けた。そしてそこに記されたサインが父のものだったことでその衝撃は倍増した。たった一本のパステルとわら半紙で、これほどの表現ができるのかという想いと、それが他でもない自分の父親によって何十年も前に描かれていたという事実に、僕の表現への意欲が目覚めた。そして夢中で自画像を描き始めた。
 油絵にはまった僕は自分の部屋で自画像制作に没頭した。そして高校三年の時、当時の自分としては納得のいく自画像が完成した。しかしそんな自己満足を見透かしたかのように無言で見つめる達磨に、僕は再び出会った。技巧に走り二ヶ月ばかりも要して描いた油彩の自画像は、一枚の杉板の上におそらく数十秒で描かれたであろう墨の線によって一瞬にして否定された。
高校卒業と同時に横浜へ出てきた僕は、達磨の木簡を携えていた。それ以来僕は絵を描くことをしなくなった。
 二十数年の時を経て鉄の肌の仕上げの探求でお茶にたどりついた僕は、仕上がったお茶墨の調子をみるため和紙に文字を書いた。そこにできたにじみの美しさに深い感動を覚え、これで絵を描きたいと筆をとって描いた最初の顔がこれだった。


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どくだみの・・・・ [展 心 徒 然 草]

     ドクダミの はおとしずけき ココロネの ただイマイマのヒビキなりくる 
またこれカーーという方もおいでかとは思いますが、あたしゃこの顔が好きでネーーーー。どうしても見せたくなっちゃうんだよねーーー。この顔彫ってから木は彫ってなくて、材料は確保してあるんだけどね。化石の木の根元でネーー、これが堅いのよ。何で彫ろうかと思ってやっぱノミだよなーーってことになってつくんなきゃないよなーーーってことでハガネの材料集めもそろそろ終わったし、そうか、もうそろそろ初めてみっかなーーーー。
ちなみにこの顔彫ったのはもう20年も前だけど、やっぱりうまい刃物がなくて、ちっちゃい槍ガンナ3本たたいて作りました。顔彫るより、カンナ造って、それ研いでの時間のほうがだんぜんかかってるべなーーー!!


そんでこれがその3本のうちで最後に出来た刃渡り約4センチのやりがんな。


ついでにこれは最初の木彫作品の左手。14歳の時に小学校の教材の彫刻刀を使って彫った。このときも研いでる時間のほうがかかったなーーー。


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中津川 かまれるものと つかむもの [展 心 徒 然 草]

中津川でマムシにあった
マムシ01.jpg

 マムシとの出会いは6歳の時であった。
郷里の仙台で、夏に祖母の家に泊まりに行くと、蚊やブヨにさされたとき祖母が塗ってくれる、小さな瓶に入った強烈なにおいのする、しかしながら抜群に効く薬があった。
その薬の臭いは他にたとえようのない、だが妙に気になるクセのある臭いだった。
ある時、その小さな瓶の薬がからになってしまった。どうするのかと聞くと移し替えるという。僕は祖母についてお勝手に向かった。祖母はおもむろに台所の流しの下から醤油やみりんといっしょに入れられていた一升瓶を取り出しテーブルの上に置いた。その瓶を見た僕は思わず叫んだ。やや黄色みを帯びた液体が半分ほど入ったその瓶の底には、一匹のマムシがきれいにとぐろを巻いて沈んでいた。このマムシは祖母の縁者が捕らえて届けてくれているとのことだった。マムシとの衝撃的な出会いだった。
 爬虫類はとにかく好きだ。かといって金を出してペットにするような趣味はない。むしろ自分が爬虫類になりたいと真剣に考え込むことさえあった。そんな僕はその時以来マムシのきりりとした美しさに魅了された。
 高校を卒業して横浜へ出てくるとき、僕はマムシ酒を化粧瓶に一本入れて持参した。それ以来虫さされにはそのマムシ酒を使っていたのだが、10年ほどで使い切ってしまった。仙台の実家にももう残ってはおらず、何とか自分でマムシを捕らえる機会はないかと思案し続けていた。
その機会は10年前に訪れた。神奈川県相模湖町に当時借りていた工房内に待望のマムシが現れたのである。
ある晩、工房のスタッフが工房内に蛇がいると知らせに来た。当時の工房の環境条件からしてマムシだと直観した僕は、忍び足で確認に向かった。まぎれもなくマムシだった。ここであったが10年目、失敗は許されない。まず逃げ場をなくすために工房の入り隅に追い込み照明を2方向からあてて動きを止め、捕獲用具を制作した。追い込んだ場所が材料棚の下の10センチほどの隙間だったので、1メートルほどの長さの塩ビ管に荷造り用のポリロープを挿入して先に10センチほどの輪を作り、手元で引いて首を絞めてとらえる仕掛けとした。逃げ道にその輪を仕掛け、反対方向から照明を当てて追い込み、アタマが輪をくぐった瞬間に手元のひもを引いて首尾よく捕獲に成功した。
10年物のマムシ酒
旧マムシ01.jpg

旧マムシ02.jpg

 捕らえたマムシは水だけを少し入れた一升瓶に入れ、約一ヶ月間数日ごとに水を入れ替え、排泄物で水が汚れなくなるまで活かしておき、40度の焼酎で満たして半年ほどねかせた。
それ以来また10年にして継ぎ足し継ぎ足し使ってきたマムシ酒もそろそろ限界にさしかかっていたので、昨年から捕獲の機会をうかがっていたのだが、ついに本日その機会に恵まれた。
昨日より夏休みを利用して家を訪れている妻の知人の母子といっしょに中津川の上流へ川遊びに行っていてのことである。
ひととおり遊び終えてテントサイトに戻って道具を片づけていると、10メートルほど下流の河原に3人の青年が深刻そうな表情をしてたたずんでいるのが目にとまった。よく見るとそのうちの一人は何か長い物をぶら下げている。蛇か、もしくはウナギかと思って見ていると、その長い物を持った青年が膝をついて首をうなだれだした。もしやと思って歩み寄り手に持っているモノを見れば、やはりマムシだった。首根っこを思いっきり掴まれぐったりしている。
かまれたのかと聞くとそうだという。とりあえず応急処置を伝え、119番で血清のある医療機関を聞き、急行することを奨めた。すると三人は青ざめた様子でマムシを河原に放り出し、その場を立ち去った。
 蛇はもうだめかと思って様子をうかがっていると、数秒後には快復して崖を登り始めた。思わず近くの木の枝を折って先に二股をつくり首根っこを押さえて捕獲した。
捕獲したまむしを持ち帰るのには、ペットボトルが非常に便利だ。河原で探したが見つからず、知人の小学3年生の女の子と母親が隣のグループからもらってきてくれた。
マムシ02.jpg

 かまれた青年にはまことに申し訳ないが、おかげでまた10年はマムシ酒の恩恵に与れるというわけである。

僕は常にマムシ酒を持ち歩いている。日常的に持ち歩くのにいちばん便利なのは目薬容器だ。その他にも香水入れなども結構使える。効能は虫ささればかりではない。鍛冶屋を始めてから気づいたことだが、火傷にはほんとうに特効薬としてよく効く。鍛冶屋の常備薬である。
マムシ酒入れ2.jpg









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