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形而上学としてのカタカムナ [カタカムナ最前線]

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 当ブログ開設以来、様々な切り口でカタカムナを語ってまいりましたが、昨今の地球自然の惨状と人間世界の霊的混迷状況を見るにつけ、現代地球人類社会が抱える霊的諸問題を、全宇宙共通の霊的客観性にもとづいて認識する実用的実践哲学として、カタカムナの形而上学的有効性をいかにすれば発揮できるか、という課題に日々取り組んでまいりました。その結果、これまでのカタカムナに関する一切の記述は、新たに一から綴り直すべきとの考えにいたりましたことをご報告いたします。したがいまして、これまでの記述は新原稿と入れ替えに逐次改訂・削除いたしてまいりますので、ご承知おき下さるようお願い申し上げます。
 
 さて、まずはじめに、私が何故にこれほどまでにカタカムナにこだわるのか、その理由から申し述べねばならないと思います。それは
「真の世界平和の実現」
という唯一の目的を、この地球上で達成するには、カタカムナのサトリが最も有効な哲理たり得る、と直観するからです。 しかしながらここで言うところの世界平和の内実につきましては、既成の概念・価値観からすれば甚だかけ離れたものであることはお断りしておかねばなりません。それは人類が宗教と自然科学を手に入れる以前の根源的霊性に根ざしたものであらねばならないからです。そしてカタカムナこそが、その霊性を現代的に表現できる唯一の言語として機能すると確信するからです。

 もちろんこれは私がカタカムナのサトリを実践・実装した結果、当然の帰結としてそう考えるに至ったわけでして、それを人類全体の霊的共通認識として伝承することが、カタカムナのサトリによってもたらされた天命とも考えております。なぜなら、カタカムナ的常識からすれば
「世界平和の実現は 人類と地球自然の霊的調和によってのみなされる」
と、結論されるからです。

 人間社会は、その発生母胎である地球自然に対する畏敬の念を失ってしまったばかりか、バチアタリにも親殺しともいえる地球自然の破壊行為を、経済活動や戦争行為として日常化しています。そしてこのような状況下において、科学も宗教もまったく有効な役割を演じることが出来ていないのが現実です。それではなぜ、このような事態が改善されないのでしょうか。
 
 今、全世界を見回してみれば、国際社会の平和に対するアプローチは、イデオロギーの違いによって千差万別です。しかも、自然界の平衡安定を人間の社会生活を安定させることと同等に権利として認識するようなイデオロギーは、ごく一部の部族社会などに見ることができる、いわゆるスピリチュアルな、非常に特殊で限定的な社会集団にしか存在しません。とりわけ一神教(ユダヤ教•キリスト教•イスラム教)で構成される社会においては、自然は唯一絶対の創造神から人類に与えられたものという契約概念が存在するため、人類が自然界の一部であるという理念が存在しません。従って環境問題解決の動機も、人類社会のみの絶対的優先存続と安定的経済活動の維持拡大が目的とされるわけです。そして、世界の資本主義的経済活動や環境保護活動を先導しているのも、これら一神教徒の国々であるということが、世界平和実現上の大きな障害であると考えています。

 このような世界情勢の中にあって、日本の社会は少なからずアニミズム的な自然観を基底思念として持ち続けている社会だといえます。これはカタカムナのサトリが根底にあるが故の特性に他なりません。万物に宿る霊性を知識としてでなく通底感として認め、文明体系として日常的に神仏・八百万の神々に対する畏敬の念と科学的合理主義を共存させることが出来る文化文明的柔軟性は、カタカムナのサトリの平和的有用性の証明であると考えるべきことです。そしてこの日本民族に示される特性の現代的発揮こそが、地球上の真の平和実現のカギを握るものであり、カタカムナ人の末裔としての日本民族に課せられた使命であることを宣言するものです。


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