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順洋丸 [展 心 徒 然 草]

  実はうちには ヤマシチ という屋号がある。僕は四代目の跡目を継いだが、そのことを自覚したのは14歳の時で、養母となっていた母方の祖母の葬式に臨んだ朝であった。仙台藩の御用商人で塩問屋・塩長の娘であった祖母は、親の薦めで嫌々ながら医者に嫁ぎ、死に別れて出戻っていたところを、やはり妻に先立たれやもめでいた祖父順之助と縁組みして堀井の家にはいった人であった。3代目の祖父順之助は幕末明治の革命のあおりをうけて商売あがったりになっていた商家ヤマシチの跡目をつぎ、21歳の時に渋沢栄一の所有する山林から岩材の採掘権をゆだねられ、明治政府が仙台に建てた多くの官庁舎の石材を一手に納め、大正末には相当の財をなしたという。この船は大正時代に造られた洋式帆船で、順洋丸と命名された。なんとこの船は貨物船として運行されただけではなく、沖でイワシ漁もして、加工した煮干しも仙台まで出荷していたそうだ。ちなみに母が生まれた屋敷には敷地内に、この船が入る船着き場が作られていた。


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コメント 1

openman

先生のご意見はもっともです。
私もゴミの中から素晴らしい生活の道具を思案中であります。
拾うのは得意ですので・・
先生ー!でも拾いすぎにもご注意くださいね♪
by openman (2006-06-17 00:05) 

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